[ Interview Part I ]
だから好きなんです。しばらくは夜を怖いと感じることもありました。不眠症が続くのは決して快いことではありませんから。
不思議ですよね。私にとって夜は何かを考え直す時間です。
熱中、よろこび、アルコール、ダンス、愛し合うこと、楽しむこと、遊び……私の人生のほとんどは夜でできています。それも、昼より明るい夜で。
そうです。夜には罰を受けることなく逃げ切れるような魅力があります。夜にはぬくもり、甘美さ、香しさ、そしてときには臭いもあります。夜は官能的かつ性的でクレイジーな存在。人生における美しくも凝縮された瞬間です。日中は動物が動き回り、人々もじっとしていません……昼は何かの目的のためにみんながあくせく動いています。夜は目的を持たない、オーガズムのようなものです。
どんちゃん騒ぎでしたね。人々は恥ずかしげもなく自らを晒しました。誰もがしゃべりにしゃべった。みんな自分のことを語るのです。そして、私たちはお互いのことをとても大切に思っていました。夜は官能やセクシャリティにあふれていました。濃密なひとときでしたね。
いいえ、放蕩だなんて、そんなことはありません。もっとそれ以上のものでした。人生が生まれては終わり、愛されては愛されなくなり、騙し合いでした。
いいえ、夜は昼に対してあたえられるご褒美です。マイルスとはコンサートで出会いました。私はボリスの奥さんと一緒に舞台裏にいたのです。マイルスを横から見たり、正面から見たり…… この出会いはとても不思議なものでした。ジャコブ通りのバー・ヴェールでボリスにはよく会っていたから。でも当時は話しませんでした。私は話すことに問題を抱えていて。人々が話すのに耳を傾けていたのです。ボリスがいなければ、決して口を開くことはなかったでしょう。ボリスは私が再び話すことを可能にしてくれたのです。どこよりも安い値段で、最高に魅力的な精神科医に出会えた、というわけです。みんながそのバーに集いました。そこには極右グループの男たちまでもが来るので、喧嘩に巻き込まれたほど。当時はたくさん喧嘩をしました。たくさんの男を殴りましたね。だって語るべきことばが尽きてしまったら、どうすればいいのでしょう?
恐れ知らずでもありました。
間違いなく、反啓蒙主義ですね。他者に耳を傾けない人々が怖いです。人々の話を聞かずに、どうやって判断することができますか? ろくでなしも怖いわね、本当に。あとは、ヘビ。
いいえ。そんなことは想像さえしませんでした。16や20歳の頃は、終わりなんて怖くありません。ときには、進んで終わりを選ぶことだってあります。でもそれは良くないわね。自殺をするけれど、結末は恐れない。むしろその逆でした。すべてが私たちの思い通りに進んでいる、私たちは自由のために戦っていると思っていました。極めて理想主義的ですばらしい闘争だったのです。
それはずっとあとのことです。孤独というものは存在しません。孤独には実体がありません。私の孤独は常に人々であふれています。無数の人々が見える壁があるんです。
最初のパフォーマンスは<ブフ・シュー・ル・トワ>で行いました。いつものように黒いプルオーバーにパンツという姿で。すばらしい空間でした。友達を集めて、ロジェ・ヴィトラックによるシュールレアリズムの演劇を上演しました。そこにいたひとりのお客さんがとても誠実で、積極的で、恋に夢中でした。その人の名前は、マーロン・ブランド。ブランドはソレックス社の原動機付自転車の荷台に私を乗せて、ホテルまで送ってくれました。
あまり。そこまでブランドにのめり込まなかったから。すばらしい人だったけど。でも、ブランドの眼はどことなく破壊的な勢いをはらんでいました。一緒にいて楽しかった。でも、そこまで最高の獲物というわけではありませんでした。無意味だからやらないほうがいいこともあるんです。ときには体だって役に立たないこともあります。私はそういう役に立たないことが得意なのですが。
欲望ですね。たとえば、ボリスを欲しいと思ったことはありません。ボリスのことは愛しているけれど、彼を所有したいと思ったことはありません。欲望というのは不思議なものです。
その歌は、あるストリッパーのために書かれた曲です。その娘が歌うことを拒みました。きわどすぎる、と思ったようです。作曲したのはギャビー・ヴェルラーでした。私たちは仲が良かったので、ギャビーが言いました「ねえ、ジュリエット、ちょっとお願いがあるの。ストリッパーが歌いたがらない曲があるんだけど、興味ないかしら?」私は曲を聴いて「自分で服を脱げばいいじゃない」と言いました。それが曲を大きく変えました。いまでは、まったく別の曲です。
ある人のことを考えます。私の前に座っている男性のことを考えます。夜にもよりますが、魅力的だと感じる男性のことを。そこそこ魅力的で、それほど退屈そうでもなく、なんとなく私を欲していそうな人のことを考えますね。
それは俳優が演じている人物を信じるのと同じですね。私も何の問題もなく16歳の少女になって歌うことができます。私は86歳だけど、そんなの関係ありません。その人物を信じてなりきるだけです。でも、その人物は私ではありません。すべてを感じなければいけません。自分をその人物の立場に置くのです。それに対して、死との対話を描いた「孤独への道」という曲があるのですが、その歌の登場人物は、私かもしれません。ジャック・ブレルとジャック・ジュアネストが作曲したもので、歌詞は私のことを歌っているのかもしれません。
どちらも同じです。愛も死もとても強い感情です。26曲を歌うということは、26の人物になるということ。とても骨の折れることです。
愛? どの愛のことですか? たくさんありすぎてわからないわ!
そんなものについて歌うことはできません。話すことだってできません。きっとそんなものは最悪の気分なんでしょうね。でもわかりません、経験したことがないから。叶わぬ恋って何かしら? マリリン・モンローと恋をすることは、きっと叶わぬ恋よね?
私にはそんな経験はありません。そういう点では、失望したことはないの。とてもラッキーな女の子だったから。誰かに惹かれると、いつも両想いになれたのですから。
もちろん
最悪。最高。でも最悪。とりわけ、私が19歳の頃に亡くなった人のことを考えると。その人は、私よりずっと年上でした。いまでも美しいものとして覚えているのはきっと、彼が亡くなったからかもしれません。いずれにしても、とてもとても美しいのです。これこそ純愛ですね。そのあとは、別の方法で愛します。ある理由のために人を愛するのです。そうなると、もはや無償で愛さなくなる。でも愛することは続くのです。
どちらかと言うと、愛を失ったときの喪失感のほうが強いかもしれません。若い頃はあらゆるものが美しく、しかるべき場所にあります。私はその頃からあまり変わっていません。私はあらゆるものを信じています。かつて信じていたすべてのことをいまも信じています。若さや純粋な感情を決して手放してはいけません。
それは赤が血の色だからです。ある日、母が私の娘を中華料理店に連れて行きました。子どもってほんとうに差別的でしょう? 黒人の男性が金髪の女性と歩いているのを娘が目撃して、母に言いました「おばあちゃん、あれ見て。変なの……」母はこう言いました「あのね、あの女の人の手を切ったら赤い血が流れるし、あの男の人の手を切っても赤い血が流れるの」私の母は、母と呼ぶにふさわしい存在ではありませんでしたが、彼女のそういったキャラクターは最高でした。
これだから男の人って…… 私が言いたいのは、愛はあなたの心のなかにある赤い部屋のようなものだということです。愛を感じると、心にベルベットのクッションが敷かれているような気分になるの。まわりはすべて赤一色。でも赤は革命や抗議の色でもありますね。
その通りです。
ええ、そうかもしれません。でも色で考えたりはしません。ときには、においやフレグランスと思考を結びつけることはあるけれど。人間のぬくもりが好きなんです。ほかの人の香水や香りが好き。臭いのはごめんだけど。
においも関係していますね。愛は気持ちいいもの、とても心地良いものなんです。ものすごく喉が渇いているときに水を飲むみたいな感じ。それはすばらしい贈り物でもありますが、慎重に選ばないといけません。
もちろん。私は男女の違いなんて感じたことはありません。欲望を抑えてはいけません。男性がほかの男性を欲することの何がいけないのですか? こういうことに反対する理由がわかりません。本当にバカバカしい。
ありますとも。幸いなことに、私はバカな人間として死なずに済むわ。
みんな同じですね。みんな恐ろしいほど同じ。まるで金太郎飴だわ。同じようなブロンドの髪、同じメイク、同じ大きさの胸、同じ形の唇。なんだか独裁国家みたいでぞっとします。そうあるよう、強いられるのでしょう。たとえば、男でも女でもいいからそんな人を25人選んでみてください。きっとどれも同じだから! 私以外の存在になれ、と強制できる人なんていません。魅力的であるには大きな胸、長い脚、それにアソコだって切手みたいな形にワックスで脱毛しないといけないんだから。一体これは何なの? 私はなんて時代にいるのでしょう。多様性があってこその欲望なのに。
いいえ、むしろつまらないです。現代は前進さえしていない。むしろ後退しています。私たちは暗黒時代に逆戻りしているんです。
いいえ。でも歌番組をつければ、10人の同じ女性が登場しますね。ロングヘアに前髪というスタイルを作ったのは私なのに。いまでは2万5千人は同じ髪型の女性がいます。こんなのは間違っていますよ! 私は、ジャック・ブレル、ジョルジュ・ブラッサンス、ジャン・フェラ、バルバラ、レオ・フェレがいる時代に生まれて幸運でした。誰ひとりとして同じ人はいませんが、みんなお互いへの愛にあふれていました。そのうえ、みんなお金にはほんとうに無頓着で。自由な魂を持つ、自由な男と女でした。いまの歌手はファッションが作り出した存在です。私はファッションが好きです。すごく好きだし、ファッションはすばらしいと思います。でも誤解しないでくださいね、すべてのファッションが好きなわけではないのですから。私が言うファッションは、イヴ・サン=ローランが作ったものだけ。
ハンサムで寡黙でした。不安を抱え、ソファのはしっこでうずくまっていました。すばらしい人物です。晩年、私の歌を聴くためにしか外出をしませんでした。私にはそんなことは関係なかったけれど。でもイヴは2回来てくれました。そしてこの世を去りました。どこへ旅立ったかは知りません。彼らは去っても、どこにいったかはわからないのです。それってマナー違反よね。
それは良いことよ。ごく一部の幸せな人以外にとってもね。そして死は避けることができない唯一のものです。長い目で見れば、死は公平ではありません。人の死に方というものは、とても不公平ですから。
いいえ、怖くありません。私は4つか5つの人生を生きてきました。もしかしたら、それ以上を生きてきたかもしれません。私は生きて、生きて、生きて、生きて…… その連続です。生きることを止めることなんてできません。でも私だって死なないといけません。それは必然です。それに対して、他人の死というものは地獄ですね。愛する人や友人の死はつらいものです。
死は無色です。
死は憎むべきものです。引き返すことができないのですから。死は、正式な意味でも公平であると同時に不公平である唯一のものです。どうしてある人は、がんで苦しい最期を遂げないといけないのでしょう? なぜ40歳の女性が乳がんで死なないといけないの? 死はおぞましいもの、でも有益でもあります。私は死ぬことについてまったく、何とも思っていません。どのみち、人は死ぬか衰退するかです。いつかは、最後には……。
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